![]()
2010年度 入学式式辞
三育学院大学、短期大学、カレッジ入学式式辞
101名の新入生をお迎えし、ここに2010年度入学式を行えることを大変嬉しく思います。新入生の皆様、そして保護者、ご家族の皆様に心からお祝いを申し上げます。
これから始まろうとしている三育学院での数年間の学びが、ひとりひとりにとって意味深いものとなり、これからの皆様の人生に希望を与えるものとなりますように心から願っています。わたしども教職員は、そのためにできる限りのことをしたいと思っております。
全人的教育、すなわち、知識や専門的技術の修得と共に、人間としての成長を目指す三育学院での学びをスタートするに当たり、新入生の皆様に「考える」、あるいは「意味を問う」ことの大切さをお話ししたいと思います。これは学問の土台であり、同時に人間としての成長に大きな意味を持っているからです。
ニューヨーク、リハビリテーション研究所の壁に一つの詩が書かれています。
私は、この詩に約20年前に出会いました。以来、折に触れて思いだし、励を受けている、そのような詩であります。
大事をなそうとして力を与えてほしいとあなたに求めたのに
つつしみ深く従順であるようにと弱さをさずかった
より偉大な事ができるように健康を求めたのに
より良き事ができるようにと病弱が与えられた
幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困をさずかった
求めたものは一つとして与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられた
私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福された者
ニューヨーク リハビリテーション研究所の壁に書かれた一患者の詩
作者はどのような境遇にあったのか定かではありません。しかし経験している困難、あるいは試練の中でそこに「新しい意味」を見いだしています。
弱さや病弱にさえそこに意味を見いだしているのです。そして試練を受けとめて、「私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福された者」と自分を理解するのです。
困難や試練の中に意味を問い、感謝の思いを言い表している力強い詩であります。
「人間は考える葦である」という言葉で知られるパスカルという17世紀フランスの思想家、物理学者、数学者がいます。彼の言葉を式次第と共に配布致しました。パスカルは人間を葦にたとえています。それも自然の中で一番弱い一本の葦にたとえるのです。折れやすく、傷つきやすい一本の葦、しかし、その葦は考える葦であり、そこに人間の高貴さがあると語るのです。
考えるとは、意味を問うこと、「新しい意味の発見」とも言い換えられるのではないかと思います。先ほどの詩人も病、弱さと向き合いそこに意味を問うたのです。新しい意味を発見したその詩人に私たちは、励まされ、希望を与えられるのです。そこに力強ささえ感じるのです。パスカルはそのような姿に高貴さがある、人間としての高貴さを見いだしているのです。
新入生の皆様も数年間の学びの中で失敗や挫折を経験するかもしれません。自己概念が大いに低下するような事があるかもしれません。しかし、そのとき、自分の今経験していることの意味を問うていただきたい。失敗や挫折は苦しい経験ですが、そうした経験を通して人の痛みや、悲しみが分かる人になれるかもしれません。人の痛みが分かる人、それはとても魅力的な人物です。
成功体験が続くとき、何もかもうまくいくとき人間は有頂天になりがちです。しかし、そんなときにも考えて頂きたい。その意味を問うて下さい。何が見えてくるでしょうか。おそらく、多くの人に支えられて今があるという発見をするのではないでしょうか。そして感謝せざるを得ないのです。感謝する人、それはたいへん魅力的な人物であります。
聖書の言葉をご紹介致します。式次第の裏表紙に記載されている言葉です。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」テサロニケの信徒への手紙一5:16−18
喜べ、祈れ、感謝せよと言われています。文法的には命令形で書かれています。
なぜそのように命じられているのでしょうか。それは、どんなことにも意味がある、新しい意味を見つけようという励ましです。新しい意味の発見は喜びであり、感謝につながると言っているように思えます。
祈るということは意味を問うという行為でもあります。意味を問うことは容易ではなく、苦闘しなければならない場合も有るでしょう。しかし、意味を問うことは私たちの三育学院が標榜する全人的教育の実現、人間としての成長には是非とも必要なのであります。
新入生のみなさん、「考える葦」となってください。これからの数年間に経験する様々な事柄に、苦しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、楽しいことに意味を問い、そこに新しい意味を発見して頂きたいと思います。そして新しい意味の発見は喜びであり、感謝であると聖書に書かれている、あるいは約束されています。
新入生そしてご家族、保護者ご友人の皆様に神の祝福を心からお祈りし、式辞といたします。
学長 東出克己
学長のエッセイをご紹介します
「聞くこと」から宗教を考える
- 立ち止まることで見えてくる、聞こえてくるすばらしさを体験してみましょう。-
■ Be Receptive(いつも受身でいよう)
「ネイチャーゲーム」の創始者として知られる、ナチュラリストのジョセフ・コーネル氏は、自然のすばらしさを享受するためには、「Be Receptive」であれと言っています。この言葉は、「いつも受身でいよう」と訳されていて、コーネル氏が提唱する自然のすばらしさを経験するための原則の一つです。受身というと消極的に聞こえるかもしれませんが、実はとても積極的な行為なのです。森の中で立ち止まり、その静寂を楽しむと小鳥のさえずりが聞こえ、そよ風がここちよく吹き抜けていきます。 自然の美しさを発見し、またそのすばらしさに感動するようなとき、わたしたちは受身になっているというのです。
画家のセザンヌはサント・ヴィクトワール山を繰り返し描きました。何度描いても描ききれないようなすばらしい何かをその風景から受けとめていたのではないでしょうか。宗教画家のルオーも、キリストを数え切れないほど描いています。何度描いても描ききれないほどのすばらしさをキリストに発見していたのでしょう。そして、画家たちが受けた感動は、その作品となって見る者たちにまた感動を与えるのです。
■聞くことから信頼が始まる
「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ローマの信徒への手紙 10章17節)という聖書の言葉があります。聞くということも受身ですが、実は、聞くこともまたとても積極的な行為です。「信仰」は、信頼という意味合いを持っています。信頼関係は、「聞くこと」に深く関わっていますし、「聞くこと」によって築かれるのです。
一方、言葉に翻弄される経験を誰しも持っているのではないでしょうか。温かい言葉に勇気づけられ、また冷ややかな言葉に傷つくことがあります。何年も前の言葉を思い出し、励まされることがあるかと思えば、思い出したくないような言葉が記憶の中によみがえってきたりします。しかしながら、これが現実です。この現実の中で、人は確かな言葉を必要としています。そして、確かな言葉を求めているのではないでしょうか。信頼は「キリストの言葉によって始まる」と書かれています。キリストの言葉、あるいは聖書の言葉は、信頼関係を生み出す言葉であり、そこから信頼関係が始まるというのです。
さまざまな困難や苦難に襲われるような経験は人の心を頑なにすることもありますが、一方そうした経験の中で人間としての魅力を深める方もいます。次から次へと考えられないような、悲しみや困難を経験した人とお会いしました。とても優しい方でした。穏やかで人を思いやり、苦しい経験をしている人たちを励ましていました。この方は、キリストの言葉を日々聞きながら、その言葉に支えられて、励ましを受けて、苦難があたかも静けさであり、その静寂の中でキリストの言葉のすばらしさを受けとめているように思われました。
先日、昨年入学して聖書を初めて手にした学生さんと話をしていました。「聖書を読んでもわからないことも多いのですが、とても心に残るような言葉をときどき見つけます。そんなとき聖書っていいなと思います」という率直な感想を聞かせてくれました。聖書を通し、希望や励ましに満ちた言葉、そして物語に出会うことができます。言葉は、単なる文字ではなく人格から発せられます。「キリストの言葉」とあるように、聖書の魅力は、その言葉の源泉であるキリストにあります。
■立ち止まる経験
コーネル氏は、静けさの価値を語っています。その静けさの中で自然のすばらしさをたくさん発見できるというのです。動き回るよりも立ち止まって、見えてくる、聞こえてくるすばらしさがあるのです。
現代社会のあわただしさの中で、受身のすばらしさを再発見する必要があるのではないでしょうか。忙しい毎日の中で立ち止まる経験、静かに耳を傾ける経験が必要なのかもしれません。このサインズを出版しているセブンスデー・アドベンチスト教会は、聖日礼拝を土曜日に行い、それを安息日礼拝と呼んでいます。安息日には、礼拝の時間だけではなく、仕事から離れ、日常的な忙しさに一線を画します。家族や友人たちの話に耳を傾け、礼拝で聖書の言葉を聞き、自然の中を散策したりすることもあります。
安息日は、コーネル氏が提唱する「Be Receptive」と共通しているところがあるようです。耳を傾けること、受身のすばらしさを是非お試し下さい。
1 Joseph Cornell, Listening to Nature: How to Deepen Your Awareness of Natrue, (Dawn Publications, 1987), 8参照
福音社 発行「サインズ・オブ・ザ・タイムズ 2009年12月号 」より転載
三育教育のご紹介
三育学院はその100年以上の歴史の中で、全人的教育を標榜してきました。教育は、知識と技術の修得であり、同時に人間としての成長の機会です。三育学院の特色は、前者を大切にしながらも、後者の人間としての成長に様々な角度から取り組んできたことにあります。
セブンスデー・アドベンチスト教会の教育理念に基づくキリスト教教育、寮教育、労作教育、食育、そしてボランティア活動などの奉仕活動、自然に囲まれた教育環境などの特色の一つ一つは、人間としての成長の大切な機会として位置づけられています。
「キリスト教教育」
キリスト教教育は、人間を理解し、人生を考え、また神を愛し、人を愛し、自然を愛する人を育てる土台です。たとえば、看護学科卒業生が多く働く、東京衛生病院、神戸アドベンチスト病院、沖縄のアドベンチスト・メディカルセンターは、親切な看護師さんで評判です。聖書や祈りを通して養われるその看護の精神は、大学での学びを経て、同じ理念で経営されている病院で展開されています。しかし、キリスト教信仰が強要されることはありません。信仰や人の生き方は、ひとりひとりが選び取るものだからです。
「寮教育」
全人的教育にとって大きな役割を果たしているのが、寮教育です。寮では多くの場合、三人が一部屋で生活します。一人部屋ではないので、部屋の仲間に心を配り、お互いが楽しく快適に生活できるように配慮します。人間関係を構築する力が鍛えられます。一度寮生活をするとほとんどの学生はその楽しさに魅了されるようです。また、通学時間、そして安全などを考えると寮は大変魅力的な場所でもあります。この寮教育の魅力をさらに高めるために今年度から寮の教育スタッフをさらに充実させました。
「労作教育」
おそらく一番想像しにくいのが「労作教育」ではないかと思います。三育学院は、その歴史の中で、学生と教職員が共に校舎を建て、ペンキを塗り、農園では食育の食材である野菜を育て、校舎、寮、などの自分たちが使う施設の清掃などを行ってきました。教育が専門化する中で、伝統的な労作教育を継続することは困難でありますが、学生たちが土に触れ、キャンパスに花を植え、さらに共同体の一員として環境を清潔に保ち、管理するなどの「労作教育」は継続しています。時間数は限られますが、自然に触れ、また、整理整頓を身につけ、共同体の一員として生活環境を整える責任を担う「労作教育」は、社会人として働くときも、また家庭の主婦としてその役割を果たすときにも意味ある経験となっています。
「食育」
三育学院の食堂(カフェテリア)は、おそらく日本でも非常にユニークで特色あるメニューを提供しています。「食育」を全人的教育の一部として位置づけ、学期中、三食ベジタリアンメニューを提供しています。ベジタリアンメニューは、近年、健康食、そして美容食として世界的に注目されています。三育学院では、このメニューを長年提供し続けています。本年度から特任教授として本学に加わった、垣本 充教授は、ベジタリアン学会、ベジタリアン協会の会長でもあり今後三育学院の「食育」は、ますます充実し、注目を集めることになると思います。(メニューが、ホームページに掲載されていますのでご覧下さい。)
「ボランティア活動・奉仕活動」
三育学院は、ボランティア活動が盛んです。今年は、学生自身が始めた国際ボランティア活動ATI(アジアと共に生きる会)が25周年を迎えました。毎年学部、学科を越えて約3週間アジア各地で学校、教会(地域の集会所兼)の建築、健康教育などを行っています。参加する学生たちは、奉仕する喜び、人のために何かができるという経験など、かけがえのない経験をしています。わたし自身数回のプロジェクトに引率として参加しました。その経験は、人生における宝物になっています。海外ばかりでなく、学校の近隣の高齢者のためのホーム、諸事情で親と生活が困難な子供たちのホーム、障害者の施設などで、ボランティア活動が展開されています。
「豊かな自然環境」
自然の豊かさには目を見張ります。キャンパスライフでは、四季折々美しい自然を感じ取る心が養われます。多少不便を伴いますが、それ以上にすばらしい経験を学生たちはしています。すばらしい自然を経験して、環境問題やエコロジー、生命に対する思いを深めていく学生たちもいます。
「知識・技術の修得」
高等教育においては、「知識と技術の修得」は、言うまでも無く、「人間としての成長」と共に全人的教育における重要な役割を担っています。また両者は分かちがたく結びついています。三育学院における知識・技術の修得にも特色が溢れています。たとえば、看護大学においては、系列のカリフォルニアにあるロマリンダ大学で教育、研究の経験のある三名の教授が授業を担当しています。米国の最新の看護事情、また教育方法も取り入れて特色ある教育を展開しています。
以上、三育学院の特色・個性を簡単にご紹介致しました。
全人的教育を目指す「学びの共同体」の形成に向けて全教職員を挙げて取り組んでいます。


