本校の心の教育
聖書には「主を畏れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは分別の初め」(箴言9章10節)と書かれています。主とは神のことです。神は、世界と宇宙の創造者であり、ご自分のみかたちにかたどって、人間を創造されました。聖書はその神への畏敬の念が知恵の源であるというのです。
【小学校に「道徳」、中学校に「人間科」、高校に「人生科」などの教科を設け、専門の教師や人生経験豊かな社会人が教えられるようにする。そこでは、死とは何か、生とは何かを含め、人間として生きていく上での基本の型を教え、自らの人生を切り拓く高い精神と志を持たせる。」教育改革国民会議の提言より(平成12年12月22日発表)「人間を超える大いなる存在に対する畏敬、畏怖の念というものを取り戻す必要がある。」同(各委員の発言より)】
平成12年の教育改革国民会議では、危機に瀕する日本の教育を改革するために「教育を変える17の提案」がなされました。その中の「学校は道徳を教えることをためらわない」で前述の提案や発言が取り上げられました。
「人間を超える大いなる存在に対する畏敬、畏怖の念を教える」「死とは何か、生とは何かを含め、人間として生きていく上での基本の型を教え、自らの人生を切り拓く高い精神と志を持たせる。」
これらは本校の宗教教育の中で実践していることです。
イエス・キリストの少年時代について聖書は「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。」(ルカによる福音書2章52節)と書いています。イエス・キリストは知・徳・体のバランスのとれた発達とともに、神と人から愛される品性を身につけられ、人類の光となる偉大な生涯を実現されたのです。
本校で学ぶ子どもたちが、イエスに倣って、知恵を増し、背丈が伸び、自由と規律のバランス、善悪をわきまえる感覚を身につけていけるように導きます。また、子どもたちの自我形成、社会性の育成のためにも、体験活動を通じた教育を行います。そして、知・徳・体がバランスよく発達し、神と人から愛される品性が形成されるように、教職員も共に成長していきたいと思います。
聖書を学ぶのは
宗教は倫理・道徳に確固たる基盤を与えるものです。聖書は単なる書物ではなく、「神の言葉」であり、「信仰の規範」です。聖書を学ぶのは、私たちの人生の歩みにおいて、或いは、人間理解において揺らぐことのない確かな基準をもつことです。
聖書ほど世界の歴史や文化に大きな影響を与えてきた本はありません。聖書の知識がなければ欧米の文化・文学を理解することは難しいでしょう。聖書を知ることは国際理解にも大いに役立ちます。
エレン・G・ホワイトについて
米国の著名な宗教家・教育者の一人で1827年11月26日生、1915年7月16日没。彼女の著書のうち日本語に訳されたものは20数冊にのぼりますが、1903年、彼女が75歳の時に執筆した『教育』に記された教育理念に沿って、ロマ・リンダ医科大学を始め世界各地に多くのキリスト教主義学校が設立されました。日本でも10校の三育小学校はじめ22の三育教育機関が設立されました。従って、本校でも折にふれて『教育』に記されている三育の教育理念を紹介することがあります。
「世界で最も欠乏しているものは人物である。それは、売買されない人、魂の奥底から真実で正直な人、罪を罪とよぶのを恐れない人、磁石の針が南北を指示して変わらないように、良心が義務に忠実な人、天が落ちかかろうとも正しいことのために立つ人、そういう人である」 『教育』p54
