お知らせ

学位記・卒業証書授与式(卒業式) 学長式辞

2020/03/01

 第9回三育学院大学、第69回三育学院カレッジの学位記・卒業証書授与式が執り行われました。今年は新型コロナウイルス感染拡大阻止のため卒業式を中止し、卒業生・教職員中心で学位記・卒業証書授与式が実施されました。学長式辞を掲載いたします。


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 卒業生の皆様、そしてネットでご覧下さっているご家族、保護者、そしてご友人の皆様おめでとうございます。今年は、新型コロナウイルスの感染が拡大しており、様々な制限を設けることになりました。卒業生の皆様と共に保護者の皆様に御祝いと感謝を申し上げ、喜びを共有するのを私たち教職員はたいへん心待ちにしておりました。しかし、このような社会的状況、危機的な局面に対し、わたしたちは日本の社会と共に、そして世界と力を合わせてこの事態に立ち向かわなければなりません。刻々と変わりゆく状況の中で、私たちは何が最善なのかを模索しつつ式への出席は卒業生、大多喜の在校生、そして教職員に限定致しました。卒業生や保護者またご友人の皆様のお気持ちを思いますときに、つらい判断でありました。皆様の御理解とご協力に心より感謝致します。


 さて、卒業生の皆様は、4年間、2年間をこの三育学院で学ばれました。その学びの成果を、バイブルウイークのお話しに、また卒業を御祝いする会のあいさつの言葉に実感致しました。わたしは、その成長の大きさと速さに驚きました。それは、かなりのスピードで追い抜かれていくような感覚でした。大きな可能性と未来を託せるような頼もしさを実感しました。絵画に例えるなら、それは成功体験という一色で描かれた退屈な作品ではありませんでした。むしろ、光と影がある深みのある作品であり、物語でした。皆様の三育学院での学修経験や生活体験は、楽しいことばかりではなかったと思います。卒業生の皆様のお話は、辛い経験、悲しい出来事、そうした日々を乗り越えてきた物語でした。それは同時に感謝の物語でした。なぜなら、皆さんは、共に学んだ友人、家族、あるいは教職員に支えられ、助けられたことを知っているからであります。多くの人に支えられて今があると受けとめているからです。そのような物語に、深みと光を感じずにはいられませんでした。豊かな色彩には影と光があります。明るい色、暗い色、鮮やかな色、透き通るような色、様々な色彩で描かれた作品には感動が伴います。そしてその作品に向き合う人々に励ましが伝わって行くのです。


 44年程前、私は皆様と同じように三育学院を卒業し、牧師になりました。皆さんと同じ年齢でした。しばらくしてわたしはある事実に気がつきました。それは漠然と知っていたことでありましたが、予測を超えて衝撃的でした。出会った人たちの多くは、明るく優しい人たちでした。しかし、何度かお話しを聞くうちに、多くの人たちは、私の予測をはるかに超えた深い悲しみを心にいだいていました。物語られるその悲しみは驚く程深く、とうてい自分には耐えられないだろうと思うような経験でした。


 あるご婦人は、ご主人を事件で亡くされ、その後にむすめさんを事故で失い、さらに父親が重い病で余命が短いと宣告を受けていました。想像を絶するような悲しみをいだきながら、彼女は驚く程のやさしさと暖かさを持っている人でした。多くの人が、このご婦人から慰められ励まされていました。深い悲しみをいだきながら、どこからどのようにして驚くような暖かさとやさしさを持つようになったのか知りたいと思いました。彼女は、慰められる人ではなく、慰める人でありました。おそらく深い慰めと励ましに出会う経験をされたのだと思います。


 かつてある青年から「父親の写真を預かってもらいたい」と言われました。父親の死に深く戸惑っている様子でした。わたしは、ただただ聞くことしか出来ず、たどたどしく祈ったことを思い起こします。数年して大切な写真をお返しすることが出来ました。その青年の中に新鮮な兆しを感じ嬉しく思いました。そして今も彼女は看護師として医療に携わっています。全人的看護の実践者になっていらっしゃると思います。


 イエス・キリストの言葉に「悲しんでいる人たちは幸いである。」という言葉があります。逆説的で理解しにくいと思われる言葉です。しかし、多くの人たちがこの言葉のような経験をし、この聖書の言葉に励まされています。


 人は心に悲しみをいだいています。しかし、悲しみが隣人へのやさしさと暖かさに変化した経験をお持ちの方々に出会ってきました。多くの場合、そこに至る道は、戸惑いや葛藤、かなわない願いと祈りという苦しい経験がありました。しかし、同時に悲しみをいだく人のために、祈り支える方々が回りにいらっしゃいました。ですから、彼ら、彼女たちの物語には、感謝が常に伴っていました。


 牧師、伝道者の働き、そして看護師は、心の深みに向き合う仕事です。そのような仕事に就かなかったとしても、様々な場面で私たちは、人の心の深みを知り驚き言葉を失う経験をすることがあるでしょう。


 ゴッホという画家がいます。彼は牧師の家に生まれ、自らも牧師を目指します。しかし、挫折し牧師の道を諦めざるを得ませんでした。しかし、画家となったゴッホは、牧師を目指していたときと同様に「神の言葉を種蒔く人になりたい」と考えていました。そして彼は、「種蒔く人」を何枚も描きました。ゴッホは、「神の言葉を種蒔く人になりたい」という思いを抱き続けたようです。ゴッホは人を励ます力の源泉を神の言葉に見ていたのではないだろうかと想像します。


 聖書には、次のような言葉があります。式次第にのせていただいた言葉です。


「また傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす。」 イザヤ書423節(口語訳聖書)


 折れやすい葦を折れないように守り、消えそうなランプの火を消さないように心を配る姿が描かれています。さらに「真実をもって道を示す」という力強い確かさに満ちた言葉が続きます。弱き存在に寄り添い、進むべき道を示し、励ます頼りがいのある姿です。私はこの聖書の言葉を読む度に、暖かい気持ちになり勇気を与えられます。ここには人々に寄り添い、真実をもって道を示すひとつのモデルが示されているように思われます。医療者、牧師、伝道者として、またこの社会の一員としていかに生きるかという一つのモデルを聖書は示しています。


 聖書には、驚く程慰めと励ましの言葉、希望の言葉、愛の言葉が満ちあふれています。聖書は、三育学院の教育の土台です。卒業後も是非、聖書をことあるごとに開き、そこにある数々の慰めと励まし、希望と勇気に満ちた言葉に触れてください。そこには、皆様を励ますばかりでなく、多くの人に、慰めと希望を与える豊かな言葉が満ちあふれています。


 卒業生の皆さん。社会が、世界が必要としている人物、それは傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことのない人です。真実をもって道をしめす人です。看護師、保健師として、牧師として、そして一人の人間として、そのように生きる人物をこの世界は必要としています。

そのような人を実に多くの人たちが待ちわびているのです。皆様は実に世界で必要とされている人物なのです。


 皆様は、これから学位記、また卒業証書を受け取ろうとしています。それは、人々に奉仕するための証書です。卒業生おひとりおひとりの前途に神の祝福を心よりお祈り致します。


2020年31

三育学院大学学長・三育学院カレッジ校長 東出克己

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